「悲劇」に流れた涙を糧に結束した吹奏楽部員たちの物語
―精華女子高等学校に咲いた「華」―ひとつ目のコトバ
悲劇、内部崩壊、涙を乗り越え、仲間、キズナ、笑顔が生まれた
―精華女子高等学校のコトバ
新生・精華という「華」
精華女子高等学校吹奏楽部
【写真左から】木部冬羽さん(3年・テナーサックス)、橋村桃子さん(3年・パーカッション)、髙木美雨さん(3年・トランペット)、生野みさとさん(3年・チューバ)
[2019年3月取材]
■全国大会出場を逃した精華に集まった29人の少女たち
それはまさしく「熊本の悲劇」だった。
人気、実力ともに全国トップレベルの精華女子高校吹奏楽部。櫻内教昭(さくらうちのりあき)先生が、前任の藤重佳久先生から顧問のバトンを受け取って1年目。2015年8月23日に熊本県立劇場で行われた九州吹奏楽コンクールにおいて、精華はジェームズ・バーンズが作曲した自由曲《交響曲第3番》を見事に演奏しながらも、九州代表の座を逃した。
奇しくも、代わりに全国大会初出場を決めたのは、前任の藤重先生が率いる長崎の活水中学校・高校吹奏楽部だった。
櫻内先生が率いる新生精華、その「美しき華」は熊本に散った―。
翌年の春、精華の吹奏楽部の新入部員は激減した。50人の入部を目標としていたが、実際に入ったのは29人。初心者も3人いた。全国大会出場を夢見る中学生の多くは、他校に流れてしまった。
そんな状況でも精華を選んだ29人は、心の底から精華を愛する者ばかりだった。精華の演奏、精華のマーチングに憧れて、九州を中心に全国から集まってきたのだ。
だが、パーカッション担当の「モモコ」こと橋村桃子だけは違っていた。本当は福岡大学附属大濠高校でマーチングをやりたいと思っていたのだが、受験で合格できず、精華にやってきたのだ。
モモコは小学校のころからマーチングバンドに参加し、大阪城ホールで行われる小学校バンドフェスティバルに3回出場したことがあった。全日本マーチングコンテストの高校以上の部も、同じ大阪城ホールで行われる。
「大濠はダメやったけど、もう一度大阪城ホールに立ちたい」
その思いから、マーチングの名門でもある精華を選んだ。しかし、憧れの精華で瞳を輝かせながら部活動を始めた同級生たちを横目で見ながら、モモコは「自分はみんなとは違うんや……」という後ろめたさを引きずり続けた。
それから2年が経った2018年春、あの29人は最上級生になった。精華では代々3人の部長が共同でリーダーを務める。2018年度はトランペット奏者の「ミユ」こと髙木美雨が音楽部長、チューバ奏者の「ミサト」こと生野みさとが生活部長、そして、モモコが運営部長に選ばれた。
モモコは内心では「精華に来ることを望んでいなかった自分なんかが、こんな重要な役割についていいんかいな……」と思っていたが、それを口にすることはできなかった。
あの「熊本の悲劇」の翌年から精華は見事に復活し、2年連続で全日本吹奏楽コンクールと全日本マーチングコンテストで金賞を受賞していた。部員も年々増え、29人の後に117人もの後輩が入部。2018年度には約150人という大所帯になった。
もちろん、この年も目指すは3年連続のダブル金賞だ。
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著者:オザワ部長
現在、実際に演奏活動を行っている人だけでも国内に100万人以上。国民の10人に1人が経験者だと言われているのが吹奏楽です。国内のどの街を訪れても必ず学校で吹奏楽部が活動しており、吹奏楽団が存在しているのは、世界的に見ても日本くらいのものではないでしょうか。
そんな「吹奏楽大国」の日本でもっとも注目を集めているのは、高校の吹奏楽部です。
「吹奏楽の甲子園」と呼ばれる全日本吹奏楽コンクール全国大会を目指す青春のサウンドには、多くの人が魅了され、感動の涙を流します。高校吹奏楽は、吹奏楽界の華と言ってもいいでしょう。
もちろん、プロをもうならせるような演奏を作り上げるためには日々の厳しい練習(楽しいこともたくさんありますが)をこなす必要があります。大人数ゆえに、人間関係の難しさもあります。そして、いよいよ心が折れそうになったとき、彼らを救ってくれる「コトバ」があります。
《謙虚の心 感謝の心 自信を持って生きなさい。》
《コツコツはカツコツだ》
《すべては「人」のために!》
それらのコトバは、尊敬する顧問が語ってくれたことだったり、両親や友人からの励ましだったり、部員みんなで決めたスローガンだったりします。
本書では、高校吹奏楽の頂点を目指して毎日ひたむきに努力しながら、彼らが胸に秘めている「コトバ」の数々を切り口にし、その青春の物語を引き出しました。すると、通常の取材とは少し違った物語「アナザーストーリー」が浮かび上がってきました。
ぜひ中高生から大人までが共感できる、純粋でまぶしい「コトバ」と「ストーリー」をお読みください。